AIの「最善手」を暗記しても勝てない?大人になって将棋を再開して気づいた、評価値には出ない人間的魅力

近年、天才棋士の活躍により空前の将棋ブームが続いています。さらにスマホアプリやAIの進化により、誰でも手軽に「現在の局面の評価値(どちらが有利か)」や「最善手」を知ることができるようになりました。

私もその便利さに惹かれ、「AIを使えば効率よく強くなれるはずだ」と、20年ぶりに将棋を再開しました。しかし、AIに頼った学習を続けた結果、私はすぐに大きな壁にぶつかり、ある重要な事実に気づかされました。

AIの「最善手」は、人間にとっての「正解」とは限らない

AIが示す「最善手」は、その後もお互いがAIレベルの完璧な指し手を続けることを前提に計算されています。私がAIの真似をして、自分でもよく分かっていない複雑な最善手を指した結果どうなったか。その後の難解な変化に全く対応できず、かえって自滅してしまうことが多々ありました。

自分の実力や理解度を超えたAIの「正解」を鵜呑みにすることは、人間同士の対局においては「最悪の罠」になり得ます。大事なのは、AIの評価値が多少下がったとしても、自分がその後の展開を理解でき、自信を持って指し進められる方針を選ぶことでした。

盤面以上に激しい「メンタルと空気感」のぶつかり合い

もう一つ気づいたのは、将棋は運の要素が一切ない完全情報ゲームであるにもかかわらず、極めて「感情」に左右される泥臭い競技だということです。

実際に対面で盤を挟んでみると、相手の息遣いや、駒を指す手のわずかな躊躇、視線の動きから「今、相手は焦っている」「この手を嫌がっている」という感情がダイレクトに伝わってきます。不利な状況から、プレッシャーをかけて相手の心理的な隙を突き、ミスを誘って逆転した時のヒリヒリするような快感は、感情のないAI相手では絶対に味わえません。

完璧ではない「人間」だからこそ面白い

私たちはつい「正解(最善手)」を最短距離で求めてしまいがちです。しかし、将棋の本当の面白さは、最善手を探しながらも必ずどこかでミスを犯し、相手という「人間」と泥臭く対話する過程にこそありました。

評価値や効率だけでは測れない、人間臭い心理戦の連続。完璧ではないからこそドラマが生まれる。それが、大人の趣味として将棋がこれほどまでに魅力的である本当の理由だと、私は確信しています。